芸術を知る11の作品

本質は変わらないまま、松澤の「作品」は驚くほど多様で常に変化をし続けました

1. 始まりは「詩」と美しい「絵画」〜若き日の作品(1940〜50年代)

詩人として芸術活動を開始。新人詩人として注目される。その後詩と絵画の中間形態とも言える「Symbol Poem」から、絵画制作へ。主に50年代に制作された絵画は、近年発見されているものもあり、色彩豊かで美しい抽象画多数。「概念芸術家」になる前に松澤は、様々なアートの可能性を模索していた。

若き松澤は詩人として芸術活動を開始。詩作の時期は1941年〜54年で1949年には詩集「地上の不滅」を刊行。(のちの松澤作品からなんと逆説的なタイトル!)50年には詩人木原孝一から「戦後注目すべき作品を描き始めた作家」として名があげられています(「国文学・解釈と鑑賞」1950年1月特集号)。詩の多くは、2013年に編まれた「星またはストリップ・ショウ:松澤宥選詩集」(書肆山田)で読むことができます。興味のある方はぜひ。

1954年に日本語を理解しない人にも「詩」を伝えたいと「Symbol Poem」と名付けた「記号詩」を発表。見方によっては「絵画」とも取れる「詩」ですが、ここで詩作の時期は終わります。Symbol Poemは、「絵」「デザイン」としてみても美しくないでしょうか。

詩作と並行して、50年代前半から絵画作品がつくられました。最近になって多くの作品が発見されています。シュールレアリスムに影響を受けたエロティックとも言える形象や繊細な色彩感覚を持った「画家」としての力を示しているものが多く、美術家・評論家今泉省彦さんは松澤を「大変な色彩家」と称しました。(「松澤宥について」『機関13』(海鳥社 1982)P.5 )パステルカラーから鈍く光る金属的な暗色まで、非常に深みと幅のある色彩感覚にあふれています。

松澤宥は詩人としても、画家としても才能を持っていたと思われます。しかし彼はそれに飽き足らず、時代の空気を吸いながらそれを超え、「みたこともない」表現/コミュニケーションの可能性に向かって行きました。