生涯を知る11のエピソード 8

8.諏訪のバウハウス*?「美学校諏訪分校」(1973年〜)

有名なアートの私塾「美学校」(本校は東京神田)の諏訪分校を1973年開講。 「最終美術思考工房」で講義。他にも小杉武久、中村宏、小畠広志など、ぶっとんだ教師たちによるアート教育が諏訪で行われた。

美学校諏訪分校 生徒募集ポスター 1975年
(先生、怖すぎかも。。。)
 

松澤は下諏訪で30年以上高校の教壇に立ちましたが、アートの「教育者」としての資質と情熱も持った人。ドイツの「バウハウス*」のような学校を日本、特に諏訪に作りたいと思っていたようです。

それを実現したのが「美学校諏訪分校」。「美学校」は1969年に東京神田に設立され現在も続く美術、音楽、メディア表現などを学べる私塾。 芸術分野の著名な方々が講師なのは有名。松澤はその初期から講師を務めましたが、神田でも教えつつ美学校設立者、現代思潮社石井恭二氏の「それぞれの教師に教場をフランチャイズする」という考えに呼応して、73年美学校初の分校、「諏訪分校」を開校しました。

諏訪分校は、上諏訪駅から歩いて10分ほどの岡村地区に。酒蔵やお寺が並ぶ古い街並みです。校舎は諏訪二葉高校の元女子寮の廃屋を利用したそう。(今は建物は残っていません。)

ここで松澤の「最終美術思考工房」、小杉武久(世界的に著名な現代音楽家)「音楽教場」、中村宏「油彩画」、小畠広志「木彫刻」など一流講師の講義が実現。松澤の講義は、例えば73年は9月から翌年の7月まで、日曜日の午後1時から6時まで。年末年始ほか時折休みつつ、ほぼ毎週のように行われたようです。

松澤の講義テーマを73年開講時のカリキュラムのメモから抜粋します。「退化と宴」「創造性」「コスモロジイ」「マンダラ・密教」「エロス・タナトス」「観念・観念合成法」「科学・超科学」「未来論・終末論」「情報・意味・言語」「心理・超心理」「ヒッピー・世捨て」なんだかすごく面白そうじゃないですか??

近くにあるかとう食堂のご主人は美学校の卒業生(中村宏教室)。講師陣や生徒たちはお店の常連だったそう。食堂は現在も営業中(カツ丼美味しい!)で常連の生徒さんたちから贈られた美学校のロゴ入りおかもちが健在です。

*「バウハウス」は20世紀前半のドイツで工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った有名な学校。カンディンスキーやパウル・クレー、ミース・ファン・デル・ローエなど、超一流のアーティストや建築家が教師だったことでも知られている。

 
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