生涯を知る11のエピソード 11

11. 木遣り大好き!(ずっと)

展覧会オープニングなどで周りから頼まれると「木遣」を披露!作品の背景には七島八島や御射山など諏訪信仰の重要ポイントが。お酒は下諏訪地酒「御湖鶴」。松澤宥は根っからの「諏訪人」だった。

諏訪大社下社秋宮 一之柱の前 1980年代 撮影:羽永光利

現代アート最先端であり続けた松澤のアートの根底に、故郷諏訪の古くからの文化が関わることを様々な人が指摘しています。松澤自身、自分が「諏訪人」であることに自覚的でした。

例えば、1975年ポーランドのポツナムでの個展には御柱祭の写真や本を作品とともに提示七島八島(「荒野におけるアンデパンダン展‘64」) 、御射山(「消滅の幟」)など諏訪信仰の重要ポイントが代表作品の「場所」として選ばれているのも偶然ではありません。

中沢新一さんとの対話(「夜想19号」(1986))の中では「僕は諏訪にいるものだから、自分の身辺から作品の契機を得たりしている。」と述べ、中沢氏が諏訪研究者の「縄文志向」に言及、松澤に「縄文的なものというのはどうですか。」と質問すると、次のように。「さっきからお話の、未分化の原人たちの心の痕跡という面は僕の中にあると思うんですよ。作品の中にも当然出てくるしね。」

アートで地元への貢献も。1955年には「ニルヴァナの木」と題された屋外彫刻を諏訪布半旅館の庭に制作。(残念ながら、道路拡張によりその後撤去)また、1957年諏訪ロータリークラブ発足に際しバナー制作を依頼され、それは現在も使用されています。

もう少し身近なエピソード。松澤は70年代以降毎年のように作品発表のため外遊しましたが、海外に出かける前は必ず諏訪大社下社秋宮に安全祈願のお参りをしていたそうです。また、お酒は下諏訪地酒の「御湖鶴」で、仲間のアーティストや評論家など訪問される方があると、一緒に飲むのがならいだったとか。

展覧会のオープニングなどで頼まれるとよく通る声で、 「木遣」(諏訪の有名な祭、御柱祭で大木を動かす際の掛け声のようなもの)をうたっていたそうです。「反骨精神」や「反権力」「ちょっとへそまがり」に諏訪人を感じる人もいるかもしれません。知れば知るほど、松澤は「諏訪人」だったんだな、と思います。