生涯を知る11のエピソード 6

6. 仲間たちとの「ツリーハウス」と夜を徹したフェス(1970年代)

仲間達と下諏訪山中に「泉水入瞑想台」(せんすいいりめいそうだい)というツリーハウスを1971年に作る。そこでアーティストたちと「音会」(おんえ)「山式」(やましき)など伝説のフリーパーティ。自由で濃厚でフラットな結びつき「フリー・コミューン」は、松澤と仲間たちの真骨頂。

  泉水入瞑想台 1971   撮影:高村ムカタ

松澤は「孤高の」アーティストと思われがちですが、実は仲間をとても大切にした人。彼のアートの本質、少なくともその一部は、仲間たちとの自由で刺激的な関係・ネットワークを通じ新しい価値や世界を創っていくことだったのではないか。その一つの象徴とも言える「秘密の儀式」のようなイベントが下諏訪の山中で行われました。

1971年に松澤と仲間たちは下諏訪諏訪大社の背後の山中「泉水入」(せんすいいり→素敵な名前!)という場所にある松澤所有の土地にツリーハウスを建て、「泉水入瞑想台」(せんすいいりめいそうだい)と名付けました。ここで71年7月に「音会」(おんえ)、72年2月に「山式・雪の会座」など数々のフリーパーティを開催、その度に様々な仲間との自由で濃厚な結びつき、「フリー・コミューン」がつくられました。

「音会」という名から音楽フェスと思いきや、そこは松澤たち、一筋縄では行きません。30数名のアーティスト、パフォーマーたちが7月10日〜11日の2日間夜を徹し「自然の中で音を出し合う、又は自然の音を聴く。」(参加者の田中孝道さん)松澤によれば「静謐で純粋な存在の象徴的な原音の饗宴」でした。*

「山式」は、なんとSBCテレビの依頼で行われ、30分の情報番組「ズームイン信州」で放送。「雪との関わり」がテーマで参加各人が様々な儀式、インスタレーション、パフォーマンスを行いました。

イベント以外にもさまざまな人がこの地を訪れ、例えば美学校の教師だった赤瀬川原平、中村宏、小杉武久や海外から有名アーティストなども。下諏訪の山中が世界中の新しい価値観をもった人たちの交流場所になったのです。

*夜になり「漆黒の会座」と称された時間には、丸太を使った大掛かりな「楽器」を運び込んだり(藤原和通)、猫の皮で作った楽器を木の間に置いてきたり(風倉匠)といった「音」を奏でた人もいれば、11日間の断食後、京都南禅寺から持ってきた水を注いだり(水上旬)、土中に埋まって、わずかに地上に出されたゴムチューブで呼吸をしたり(古沢宅)、木の上から逆さ吊りになったり(赤土類)などのパフォーマンスも。松澤は、それまでの文字による作品を収蔵した函を瞑想台近くの地中に埋めました。(「ニルヴァーナからカタストロフィーへ 松澤宥と虚空間のコミューン」(オオタファインアーツ 2017)P.227)

 

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